B型のアラサー女。

アラサーよ、前を向け。熱しやすく冷めやすい。そんな自分も嫌いじゃない。

10年目の松屋

 

それは突然だった。

家の近くの松屋が「閉店」していた。

 

隣のハンバーガー屋の「営業自粛」の張り紙とは違う。

「閉店のお知らせ」だった。

しかも閉店時間は15時。夜の営業をせずに終わったらしい。

松屋の豚汁好きだったのに、、。

 

私の中で松屋は最強だった。

最強レベルの店は何個かあるが、四天王のうちの一人だ。

松屋はいつだって裏切らない。

身も心も疲れた仕事帰りの私達を淡々と受け入れてくれる。

安心安定、いつもの味。安くて美味い。そして早い。 

 

そんな店が閉店してしまった。

アラサーの女(今年30歳)が松屋の自動扉に貼られた一枚の紙を見つめて、8秒くらい立ち尽くしてしまった。

チラチラ周りに見られたので、後ろ髪を引かれながらその場を去った。

ショートカットなので襟足はかなり短いが。

 

私の松屋との思い出は20歳くらいから始まった。

当時、一人暮らしを始めたばかりで、自炊もする気がなかった私は、駅から家までの途中にある松屋によく行った。

24時間営業だったので、松屋を買わない時も、暗い道ではなく松屋の明かりの前を通って家に帰るようにしていた。

 

20歳の私が、深夜に初めてひとりで松屋に入る時には少し勇気が必要だった。

 

券売機はすでにタッチパネルだった気がする。

店内は思っていたよりも明るく綺麗で清潔。

椅子もフワフワで座りやすかった。

入店時、私は少しソワソワしていたが、松屋にいるお客さんは周りのことを全く気にしていなかった。

無我夢中でご飯をかきこむサラリーマン。

スマホに取り憑かれたように流れ作業でご飯を口に運ぶ大学生。牛丼を食べているのかスマホを食べにきたのかよく分からないが、それはどうだっていい。

近くのオッサンもビールを飲みながら新聞を読んでブツブツ言っているが、どうだっていい。

私の牛丼と豚汁が美味しければそれでいいんだ、と思うようになった。

 

ある時、松屋に背中を押されて駅の反対側にある吉野家にも進出してみたが、狭くて、暗くて、カウンターの向かい側のオッサン達にじろじろ見られたので、それ以降は行かなかった。

また、この頃に牛丼に信じられないくらい量の紅しょうがを盛って食べる人達がいると知った。

 

25歳のとき、職場の超近くに松屋ができた。

当時、ランチにやや困っていたので松屋ができて嬉しかった。

ランチセット(牛丼&卵&豚汁がワンコイン!)的なものをランチのローテーションに組み込んだ。3日に一度は食べて、満腹。

たまに生野菜に変えたりして。松屋万歳だ。ちなみに卵は半熟派である。

 

その後、職場はかわり、住むところもかわり、松屋とは離れていた。

 

そして3年前、今の家に引っ越して来たときにまた再会した。


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私の生活圏内に必ず松屋が現れる。

吉野家でもなく、すき家でもなく、松屋が。

 

やっぱ松屋は最強だな。と思った。

裏切らない。美味い。安い。早い。

お新香もこんなに美味しかったんだ。

 

松屋は休みの前の日の楽しみになった。

ネギ塩牛カルビ丼にハマったからだ。

かなり臭うので、休みの前の日に、と決めていた。美味いものは臭い。世の中の常識だ。

 

松屋は一週間の疲れが漂う仕事帰りの我々を淡々と受け入れる。

もちろん、定員さんもお客さんも私や周りことなんて気にしていない。

あの頃に比べると店員さんは外国人が増えたが、慣れないであろう牛丼屋の日本語を使いこなしていてスゴイなぁと思った。

 

さらに、ビール150円!!の店内チラシにはびっくりした。

豚汁より安いではないか。

アルコールは飲めないが、安いのはわかる。

ビールと牛皿、美味しそう。

 

そんな松屋が閉店してしまった。

コロナの影響か。

あの松屋の後には何ができるんだろう。

なんとなくタピオカ屋じゃないといいな。

 

今年30歳になる私は、松屋を持ち帰り、家で食べていた。

10年前、20歳の私は、堂々とオッサンと一緒に店内で食べていたのに。

持ち帰るのは家の方がゆっくり食べられるから、と思いながらも、周りは私のことなんか見てないが、本当は自分を見る自分の目に耐えられそうにないことや、20歳の私は勇気をだして松屋に入ったが、最近の私は何かに勇気をだしたのかと考えたこと、松屋に入る時のように色々な事に慣れるにはまだ早いのではないか、という事に気づいてしまった。

 

さようなら、松屋。

君がまた私の前に現れた時、私はどうなっているんだろうか。